硝子機器開発・研修室

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[沿革]

明治
44 真島利行教授により理科大学創設と同時に化学教室に硝子工場設置。
45 東京本郷川村製作所より上原佐吉氏就任。(初代工場長)

大正
 2 上原氏退職。後任に川村製作所より山田清吉氏就任。(2代目工場長)
 5 10月、地元での硝子技術者養成の為清野実氏を見習いとして採用。
 8 理科大学が理学部となる。
10 早田末吉氏採用。
11 佐藤清利氏採用。
12 青山新一教授監督として就任。
   硝子器具の需要が多くなり、東京に外注して製作した摺合せなども工場生産を始めた。
   東京川村製作所との技術交流が多くなり急速な技術の向上があった。
   山田清吉氏退職し北目町にガラス。工場を開業。
   川村製作所より鶴岡忠太郎氏就任。(3代目工場長)
14 安倍栄氏、鹿又政氏採用。佐藤清利氏大阪転勤。
15 安倍栄氏、鹿又政氏退職。
   佐々木幸蔵氏、下山多利治氏、武田新吉氏、菊地専太郎氏採用。

昭和
 2 箕作新六教授監督就任。佐々木幸蔵氏退職。菊地七郎氏採用。
 3 鶴岡忠太郎氏八幡製鉄所へ転勤。清野実氏が工場長に就任。(4代目)
   丹野梅治氏、菊地庄吉氏、足立喜平氏採用。
 4 下山多利治氏台北大学へ転勤。安藤和男氏、奥田栄次郎氏、田中薫氏採用。
   早田末吉氏医学部へ転勤。
 5 横田周一氏採用。
 6 川合真一助教授監督就任。二瓶武雄氏採用。武田新吉氏入隊(後戦死)
 7 外村徳三助教授監督就任。
   清野氏、早田氏が高温度実験研究の要望で石英ガラスの製造の研究を始める。
 8 清野実氏、早田末吉氏、青山先生とともに透明石英ガラス製造の研究始める。
   菊地庄吉氏医学部に転勤。菊地専太郎氏、三井化学工業目黒研究所に転勤。
   浜本良夫氏採用。
 9 足立喜平氏退職。菊地七郎氏北大へ転勤。
10 有井癸巳雄助教授監督就任。奥田栄次郎氏大阪OPKへ転勤。田中薫氏日本金属へ転勤。
   松村善二朗氏、根本茂氏採用。
12 清野実氏(早田末吉氏と共に)石英ガラス製造実用化の為日本石英硝子株式会社へ転職。
   丹野梅治氏が工場長に就任。(5代目)安藤和男氏東京メトロ社へ転勤。高橋正八郎氏、我妻直文氏採用。
13 富永斉教授監督に就任。岡野丑朗氏採用。横田周一氏東京メトロへ転勤。浜本良夫氏入隊。
14 丹野豊穂氏、菊地敬一氏採用。高橋正八郎氏、我妻直文氏退職。
15 菊地勇氏、渡辺八一氏、高橋利彦氏、早坂正氏採用。岡野丑朗氏、丹野豊穂氏退職。
16 東北帝国大学理学部付属硝子技術員養成所発足。富永斉教授所長に就任。野川一三氏
   ほか7名が第一期生として入所。本科3年、研究科1年課程。
   菊地敬一氏、菊地勇氏、渡辺八一氏、高橋利彦氏退職。
17 第二期生尾形優治氏ほか8名入所。浜本良夫氏庶務掛へ配置換え。
18 第三期生相沢政治氏ほか10名入所。
19 第四期生菊地俊三郎氏ほか12名入所。
   1年課程の養成所速成科を開設。塩竈に分所を設置。第一回生東海林正一氏ほか60
   名入所。入所者の多くは軍需工場からの依託性。
   10月 科学研究補助技術員養成所硝子加工科(女子)を併設。高女卒の小平くに(旧
   姓加藤)さん、ほか21名入所。早坂正氏、根本茂氏入隊。
20 1月 硝子研究所発足。硝子技術員養成所は研究所付属になる。丹野梅治氏硝子研究所に転籍。
   3月 第一期生8名卒業。速成科61名卒業。
   4月 第5期生安住和男氏ほか16名入所。速成科男子43名、女子46名、硝子加工科25名入所。高橋芳男氏採用。
   7月 仙台空襲、大学の多くの施設も焼失損害を受ける。ガスの供給が止まったため9月まで休校。
   8月 終戦のため今後の見通したたず速成科、加工科を廃止。
   9月 登校。第二期生4名繰り上げ卒業。
21 4月 第六期生高橋進氏ほか8名入所。
   6月 ヴィトルム第1号発刊。
   7月 根本茂氏中支那より復員。
   8月 二瓶武雄氏金属材料研究所に転勤。
22 3月 第三期生7名卒業。
   4月 第七期生春日功氏ほか3名入所。松村善二郎氏硝子研究所に併任。
   5月 早坂正氏退職。
   6月 硝子技術員養成所同窓会発足する。
23 3月 第四期生4名卒業。
   4月 第八期生今野重久氏ほか9名入所。菊地俊三郎氏採用
   6月 養成所開所5周年式典を挙行。
24 3月 第五期生2名卒業。
   4月 第九期生山田清輝氏ほか14名入所。安住和男氏採用。
25 3月 第六期生9名卒業。
   4月 第十期生左藤弘氏ほか2名入所。
26 3月 第七期生3名卒業。
   4月 第十一期生大槻祐夫氏ほか5名入所。(最後の入所者になる)
27 3月 第八期生11名卒業。
   4月 硝子研究所は非水溶液化学研究所と併合、養成所は理学部付属となる。
      松村善二郎氏非水研に配置換え。
28 3月 第九期生12名卒業。
29 3月 第十期生2名卒業。
   8月 丹野梅治氏理学部に復籍。
30 3月 第十一期生7名卒業、同月をもって養成所を廃止。
31 安積宏教授監督に就任。
   戦後10年の科学研究の発達に伴いガラス製品の複雑、高度化により近代化された加    
   工機械、原材料の高品質化が進む。大型ガラス加工の為のガラス旋盤が設置される。
32 高橋芳男氏非水研に配置換え。
33 星英一氏採用。
39 柴崎正行氏採用。
40 庄司文和氏採用。
44 塩川孝信教授工場主任に就任。
45 丹野梅治氏32年間の工場長の重責を果たし講師に昇任。
   丹野梅治氏工場長定年退官。根本茂氏が工場長に就任。(6代目)
   耐熱ガラス加工技術の導入計画により機械加工、精密加工の機械設置始める。
46 山田弘氏採用。
49 山田弘氏非水研に配置換えになる。
54 青葉山理学部内に新工場完成3月15日移転完了。
   向井利夫教授工場主任に就任。
56 庄司文和氏退職。
58 根本茂氏退官。菊地俊三郎氏が工場長に就任。(7代目)
62 安積徹教授工場主任に就任。

平成
 2 菊地俊三郎氏定年退官。安住和男氏が工場長に就任。(8代目)
   菊地俊三郎「大型砂時計用の新機構の考案」、安住和男「理化学用ガラス実験装置の考案」
   両氏が科学技術庁長官賞を受賞。
 3 安住和男氏が日本化学会研究技術有功賞を受賞「精密分留装置及び光化学実験装置の研究と開発」
   安住和男氏定年退官。星英一氏が工場長に就任。(9代目)
   扇充氏採用。
 6 硝子工場から硝子機器開発・研修室に改称。
10 吉藤正明教授硝子機器開発・研修室長に就任。
12 星英一氏仙台市功労賞「ガラス製品成形」を受賞。
14 星英一氏定年退官。柴崎正行氏が工場長に就任。(10代目)
16 澤田修太氏採用
17 飛田博実教授室長に就任
20 柴崎正行氏 仙台市功労賞を受賞
21 柴崎正行氏定年退職。扇充氏が工場長に就任。(11代目)
22 佐藤由佳氏採用

令和
 2 橋本久子教授室長に就任


硝子室在籍者推移
昭和 2年      10名体制(養成所生徒含まず)
   31年~     7名
   44年~     6名
   56年~     5名
   58年~     4名
平成 2年~     3名
   14年~     2名
   16年~     3名(うち1名は再雇用者)

     のべ    42名